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GOOD MORNING 学園長!

第62話 禁煙快楽(その五)

第61話の中で述べたように、「主体的経験」を精神の集中と禁断症状の両面から検討したいと思います。
精神の集中であれ禁断症状であれ、われわれが人体に対して何らかの刺激を与えることは、その行為者の「なんらかの意思」を介さずして行うことはできません。従って、その「なんらかの意思」の中に「無意識による意思」をも含めることにします。その「意思」を介して行うという人体に対する働きかけを、以下において具体的に言うと、「精神の集中」の場合は、人体に対して「積極的な負荷」を課すこと、つまり何も考えないでただぼんやりと過ごすのではなく何かの目標を立ててそれに取り組むような、人体に対しての「意思に基づいた働きかけ」をすることであり、もう一方の「禁断症状」の場合は、人体に対して「消極的な負荷」を課すこと、つまり喫煙を辞めるという「意思に基づいた働きかけ」を人体に対して行うことを指します。
この両者の「意思に基づく働きかけ」を比較すると明らかなように、「精神の集中」の場合は、働きかけによって得る「苦痛」は容易には訪れません。むしろ、一般的には「快楽」を得るための働きかけであって、「苦痛」を得るための働きかけではないといえるでしょう。 従って、もし精神の集中による「苦痛」を得るには、集中度とその持続のレベルを強める必要があります。
ところが、「禁断症状」の場合は、喫煙を辞めてさほどの時間をかけずに再度の喫煙の欲求が生じ、それを抑えることによって時間の経過に従い「苦痛」の度合いが増していきます。
この両者の「苦痛」に至るプロセスと「苦痛」の人体に対する及ぼし方の違いが、後に述べることになりますが「快楽」の容易性とその強度・深さ・質という本質的な問題に関わってくるのです。
以上から、両者において、ともあれ「苦痛」を得るには「行為者の意思による人体への働きかけ」が必要であることを述べました。
次回は、上で述べた「行為者の意思による人体への働きかけ」と「主体的経験」との関係を述べたいと思います。

それでは、Good bye!