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GOOD MORNING 学園長!

第95話 死刑反対

私は現在、奈良時代の刑場の跡地の直ぐ近くに住んでおり、毎日の通勤に死刑囚の死体を捨てたと言われる黒髪山の、現在では「黒髪神社」の側道を利用している。

その神社の側には、次のような歌碑が立っている。
ぬば玉の黒髪山の
山草に
小雨降りしき しくしく
思ほゆ
万葉 十 一

処刑された死刑囚もそれを執行した執行官も共にこの世にはいないのである。その意味で、生あるものはいずれの形によるにせよ、ともあれ死を逃れることはできない。

このことは、ともすると生と死を一つのものと見誤りがちになるが、そうではない。生があるから死があるのであって、東洋の死生観である死があるから生と死が一つものであるということではないのである。

つまり、生命は生あっての存在であって、死を待つための存在ではないのである。従って、生を如何にして、その人らしく、生がなければできなかったような生き方、言い換えると「短い生を我が儘にして輝けるように生きること」そのことこそが“生の意味”ではないだろうか。

もしそうだとすれば、仮に刑罰の根拠を「応報」だとしても、ハンムラビ法典のようには行かないのではなかろうか。

言いたいことは、死に対して死をもって報いることは実に野蛮な思想であって、犯罪者の重い罪に報いるには、「命を奪うこと」(死刑)ではなく、「自由を奪うこと」(終身刑の新設)ではないかということなのである。思うに、この自由を奪うほど重い処罰があるのだろうか。

それでは、Good bye!